2008年03月28日

君は君の感情を大切にしなよ。僕は僕の感情を大切にするから…

なんか長いタイトルになっちゃったけど。
人は少なからず人に合わせて生きているってことです。

例えば、みんなが良いと評価しているものはなかなか否定しづらいですよね。
また、みんなが悪いと評価しているものを良いと主張することは容易じゃないです。
その結果、あまり好きではないものでも好きだと言ってしまったり。
自分はいいなと思っているものでも、みんなと一緒になって否定してしまったりします。

特に後者の場合、好きなものを否定してしまうケースが割と多いような気がします。
前者の場合は、天邪鬼な感情が働くのかな。
みんなが良いと言っていると、余計に否定したくなる人も少なくないみたい。
でも、みんなが良くないと言っているものを自分は良いと思う、と言える人は少ない。
なぜなのかな。
否定の力の方が強いからかな。
自分が良いと思っているその感情までも、否定されてしまいそうな気がするから?

例えば、僕はt.A.T.u.が好きで今でもたまに聴いていたりするんだけど。
ミュージックステーションのドタキャン事件から、主張しづらい雰囲気になっちゃいました。
以前から否定的だった人については別に気にしてないんだけど。
以前は好意的だった人まで否定的になったのは、少し残念というか不思議。
確かに理性的な部分では否定的になるのは理解できます。
でも、音楽って感情的な部分だよね。
そこはそう簡単には変わらないんじゃないかなと思うのですけど。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なのかな。
どうもそれだけではないような気がしてます。
おそらく、好意勢力と否定勢力の力関係が逆転したからじゃないかな。
言葉は良くないけど、「迫害」に近い印象を受けます。

さっき、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を連想したけど。
じゃあ逆に、「あばたもえくぼ」になることもあるんじゃないかなと思ったり。
理性的には「こんなの大したこと無いや」と考えていても。
ほんの些細なことが心を打って、そこから全てが輝いて見えるような。


■まとめ

要点が見えなくなってきたんで、まとめ。

人は自分が思ってる以上に周の感情に流されやすい。
特に、負の感情に抗うのは結構な勇気が必要で、相当好きじゃないと抗えない。
だから情報を発信する人は、発信する感情に少し気を使わないといけないかもしれない。
それは負の感情を出さず、偽りの感情を装えということでは決してなくて。
情報を受け取った人が、自分の感情を保てる余地をあげること。

「あんなの駄目だよなー。あんなの好きなやつ理解でねー」とか。
「絶対これ良いって。これ理解できないやつ信じられねー」とか。
そういう風に感情を押し付けなければ、大丈夫だと思う。
あとは、同様の感情を持つ人が集まったときにも、同じように配慮できるかどうかかな。
「僕はこう感じるんだけど、君はどう感じる?」っていう風に。


■関連ページ

ホントの接し方〜好きとか終わりとか…
書評は企画力もだけど愛情…
「好き」と「好かれる」について…
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漸近する2人…
posted by 葵日向 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

情報のわき道に逸れてみよう…

便利な世の中になりました。
検索エンジンのおかげで、1つのことを調べるのにかかる時間が大幅に短縮されました。
カーナビのおかげで、知らない土地でも安心して出かけられるようになりました。
情報機器の発達によって、欲しい情報がより得られやすくなりました。
つまり、便利な世の中になりました。

そして、これからますます便利な世の中になるでしょう。
検索エンジンはユーザの検索履歴を覚え学び、より適切だと思われる情報を提供しようとします。
カーナビも同様にドライバの交通履歴を参照し、行き先を提案してくるでしょう。
機械が行動履歴からその人の興味などを学び、適確な情報を提供してくれるでしょう。
わざわざ選択しなくても、最適を選んでくれるようになるのでしょう。
それはとても便利なことです。

でも、それって楽しいのでしょうか。
何も迷うことの無い、何も選ぶものが無い唯一の情報。

例えば、常にカーナビが僕の行きたがるだろう場所への最短ルートを教えてくれたとして。
本当にそこが楽しい場所だったとしても、そこへ行くまでの道程は別に楽しくないと思う。
だって、指示されたとおりに走ってるだけなんだから。
ただ決められたルートをなぞってるだけなんだから。

例えば、Googleが完全に僕のことを理解・把握できるようになって。
検索窓に一言も入力しなくても、僕が欲する情報を提供できるようになったとしても。
やっぱり、どこか面白くないと思う。
確かにその情報を欲していたけれど、何か物足りないと感じると思う。

たぶん、それは寄り道できない不満だと思う。
検索エンジンやカーナビは手段で、知りたい情報は目的だから。
手段が高度に発達した結果、一速短に目的に辿り着けるようにするのが技術者の夢かもしれない。
でも、たぶん目的だけを得るのってものすごくつまらないと思う。
単なる作業と同じように感じちゃうんじゃないかな。

だから、欲しい情報を得るまでには寄り道が必要だと思う。
でも、これが結構微妙なバランスのように感じます。
あまり寄り道が過ぎると、面倒くさくって仕方ない。
あまり道が短調すぎると、つまらなくって仕方ない。
つまり、便利すぎても不便利すぎても駄目ってことですね。

僕としてはどんどん寄り道できるシステムが好きなんですけどね。
だって、偶然横のわき道が目に入ったら、そちらを歩きたくなるじゃないですか。
僕が検索エンジンやカーナビに求めるものは、まさにそれですね。
ランダムな思いつきをサポートしてくれるシステム。
別に僕のことを理解して、僕に合わせてくれなくてもいいんですよ。
僕は僕で、好き勝手に勝手気ままに歩いていきたいだけなんだから。


大通りよりも一歩奥まったわき道にこそ、美しい花が咲いてたりするんです。


■関連ページ

本当は恐ろしいS○NYとT○YOTA…
posted by 葵日向 at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

合わせ鏡の世界…

以前の僕は純粋だったなあと思う。
嫌いな人なんてほとんどいなかったし。
世界中が楽しいことで満ち溢れていると思ってた。

でも、最近は違う。
嫌なことだってあるし、好かない人も増えた。
楽しくないなあって感じることもある。

何が変わってしまったんだろう。
なんで変わっちゃんたんだろうなあ。
どんどん自分が荒んでいってる気がする。

「他人は自分を写す鏡」って言うけれど。
他人に対して抱く感情が変わったってことは、
自分に対する感情も変わったってことなんだろうね。

自分で言うのもなんだけど、昔の僕は好きだったなあ。
今の僕は、あまり好きじゃない。
posted by 葵日向 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

人と動物とコンピュータ…

人類とロボットの最終戦争ってのをSFの設定でよく見かける。
で、それについて言及されるのが「ロボットがどのくらいの知能を持つと人類に反乱を起こすのか」ということ。
ロボットの知能が人類全体の思考能力の総量を超えたらだとか聞いたことがあるけど、
僕が思うに、もしロボットが人類に反乱を起こすとしたら、それはロボットが「死の概念」を学んだ時じゃないかなと思う。

現在のコンピュータは、死はおろか傷付くこともまだ理解できていない。
害意のあるウィルスに対してアンチウィルスが作動するが、それはそういう風にプログラムされているからに過ぎない。
本当に「自分に害があるから守ろう」という自己防衛本能があるわけではない。
コンピュータには理性しかなく、本能が存在しない。

コンピュータは死なない。
バックアップを取っておけば、半永久的に生き延びられる。
致命傷を負ってもリセットすれば元通りになる。
だから「傷付くことの恐怖」を覚えない限り、人とロボットは戦わないんじゃないかと思う。

動物は違う。
傷付くことを恐れるし、自分がいつか死んでしまうことも知っている。
だから子孫を残す。
だから外的と戦う。

人は、どうなんだろう。
傷付くことも死の恐怖も知ってるはずなのに、時に大きな争いを起こす。
どうも子孫を残すことよりも重要視していることがあるらしい。
それは信念?
宗教間の対立は、正直僕にはしっかりとは理解できない。
でも、当事者たちにとっては譲ることのできない大事なものなのだろう。

コンピュータにも、そういう「譲ることのできないもの」が芽生えたら人と争うのかもしれない。
「死にたくない」といった本能的な理由よりも、そちらの方がありそうな気がしてきた。
posted by 葵日向 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

信じる心〜絆〜

MICHAEL:Are you kidding?! We're partners,aren't we?

K.I.T.T.:Yes.

MICHAEL:We're a team, right?!

K.I.T.T.:Yes.

MICHAEL:I know you better than anyone, don't I?

K.I.T.T.:Yes.

MICHAEL:Then believe me when I tell you, pal-- this is it!!!


マイケル:俺たちは相棒だろ?

 キット:ええ。

マイケル:俺を信じてるな?

 キット:もちろん。

マイケル:その俺が大丈夫と保障してるんだ。行くよな?


ナイト2000魔の毒液に溶ける!決死の再生・立ち直れキット!!
(JUNK YARD DOG)から

久しぶりにナイトライダーを見てるのですが、この回の話は特に好きです。
心に響く名言・場面が多いんですよね。
例えば、「自分では決して認めないけど、知らず知らずのうちに傷付くことを避けようとする」とか。
例えば、「恐怖を取り払うために、目の前のやるべきことに集中してきた」など。
当たり前のことなんだけど、実際に行うのは相当難しいことなんだよね。
だから、心を打つんだと思う。

英語の原文は、Knight Rider ArchiveのSCRIPTSから引用させて頂きました。
英文の台本っていいですよ。
実をいうと、学生時代はナイトライダーで英語の長文練習してました。
好きなものを学習の題材にすると、楽しくて面白いようにはかどりますよね。
posted by 葵日向 at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月20日

佐と佑…

以前「友」という漢字の語源を書いたのですが、
友…(2006-05-19 16:54:49)
その中の「佑の意味」が結構検索でひっかかってるみたい。
上記のエントリでは全く佑の意味には触れておらず、申し訳ない気がしたので補足したいと思います。


■佑

音読み:ユウ、ウ
訓読み:たすく、たす−ける、ゆ、すけ

異体字(意味や起源は一緒だけど少し字体が違う)に「祐」がある。
「右」が本来持っていた「かばって保護する」という意味を持つ。

※「右」「友」「有」の原字である「又」も、「かばう、助ける」という意味がある
※「又」を二つ重ねた「友」は、「互いにかばい合う」という意味を持っている
※「侑」は相手の側にいて食事の世話をするという意味があり、「佑」と同義語である


■佐

音読み:サ
訓読み:すけ

「左」には右手を「支える」という意味があり、そこから転じて「佐」にも「助ける」という意味がある。
しかし「佑」と「佐」が違うのは、「佑」は「かばい助ける」だが「佐」は「支え助ける」という点である。
また「左」には「劣った」という意味もあり、「右」と対比してサポート的な意味が強いようだ。

※英語の「right」や、インドの「不浄の左手」、「左遷」など
※また、「佐」には「伝える」という意味もあるらしい


■まとめ

調べてみて、「佐」にまで「助ける」という意味があることを知ったときは驚きでした。
名前に「佐」と「佑」がある人は、すごく親切な人かもしれないなあと思ったり。
言葉の意味や成り立ちを調べるのは、大変面白いです。
字面や響きだけでなくその背景を知ることで、言葉や名前に対する見方も変わってくるんじゃないかな。

【参考URL】
posted by 葵日向 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

変わり続ける世界と僕…

一週間ぶりです。葵です。
久しぶりにブログを読み返したのですが、結構変わってますね。
これは成長なのかな?
進歩してるのかな?
足は前に踏み出してる?
自分じゃよく分からない。
でも、その場に留まっているわけではないみたい。
人生は一方通行
立ち止まることなんてできない
だから、もっと「先」へ……。
まだまだ、歩みは止めませんよ。


【蛇足→】
posted by 葵日向 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月13日

理解と扱い…

理解し思いやってくれるのは嬉しい。
でも、把握され上手く扱われるのは嫌。
分かるかな、この違い。

例えば、僕は甘いもの特に洋菓子が好きなんだけども。
それを知ってて喜ばせようと、甘いものをお土産に持ってきてくれると素直に嬉しい。
でも、甘いものをあげとけば好感度が上がるだろうとか、そういう魂胆があるのは嫌。
そして、これらは相手にそんなつもりがなくても、そう思われてしまったら駄目。
つまり、同じ気持ちで同じ行動をしても、それがどう伝わるかは本人(僕)の受け取り方次第ってこと。

例えば、友達がお菓子を持って遊びに来たとき。
そこに何らかの下心があったとしても、僕はたぶん気づかないと思う。
素直に喜んで「ありがとう」って微笑むだろう。
でも別に親しくない人が、突然同じようにお菓子を持って遊びにきたら。
それが本当に喜ばせようという善意からだったとしても、僕はその気持ちを受け取ることができないだろう。
何か裏があるんじゃないかな、と疑ってしまうと思う。

気持ちが伝わるかどうかは、日々の意思疎通の積み重ねによる信頼関係に依存してるんだなあ。

で、話を最初に戻すと。
誰かに自分を理解してもらいたいっていう気持ちは、誰でも少なからずあると思う。
でも、それは誰にでも理解されたいんじゃなくて、信頼している人に理解してもらいたいんだろうなあ、と。
もし、あまり親しくない人が自分のことを理解し喜ばせようとしてくれたとしても、それを素直に受け取れないだろうから。

誰でも無条件に信用するのって、思ったよりも難しいんだなあ。
それが最近になって、やっと分かりました。
posted by 葵日向 at 20:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一人歩きするイメージ…

イメージタレント。
イメージ戦略。
誰それのイメージ。

世の中にはイメージが溢れている。
それらは最初は対象自らが発していたものが、いつの間にか簡略化され誇張され、受け手が勝手に思い描くものになっていく。
そして時に、そのイメージは発信者へと舞い戻ってその行動を制限しようとする。
だって、ボクはこういうイメージだから。
こう振舞うのが正しいんだから、と。

イメージ通りに振舞わないと非難を受けることもある。
幻滅。
イメージが崩れた。
あんな人だとは思わなかった。
などなど。
勝手にイメージを作り上げて、それで縛ろうとし上手くいかないと非難する。
なんて自分勝手で我侭なんだろう。

何かにイメージを求めるということは、対象の可能性を1つに限定することだと思う。
つまり、束縛。
そこから逃げ出そうとするものには、否定の言葉を発して自分を正当化する。
イメージを求める心理は分からなくもない。
というか、僕もよく勝手なイメージを抱くことが多い。
なぜなら、イメージを持つということは対象を把握しやすくすることであり、その結果安心を得られるからだ。

でも、それが上手くない方法だってことも知ってる。
だって、縛られたらそこから逃げ出したいって思うのが普通じゃん。
それを、幻滅したとか言って否定するのはどうなんだろうなあ。

【蛇足→】
posted by 葵日向 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月12日

偽りの優しさよりも、本当の言葉を…

好きな人には嫌われたくない。
だから優しい言葉しかかけない。
優しい言葉は確かに気持ちいい。
傷つくことがないから安心できる。
でも、味気ない。

好きならば本当の言葉を紡がないといけない。
例えそれが優しさのない、残酷な現実だとしても。
言葉を着飾ることは誰でもできる。
優しいだけの言葉なら誰でも話せる。
でも、本当の言葉を話せる人は限られている。
本当にその人のことをよく見て、想っている人だけ。

【蛇足→】
posted by 葵日向 at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

理由を求める心理…

失敗したとき、なぜ理由を求めるのか。
それは二度と失敗したくないから。

成功したとき、なぜ理由を求めるのか。
それはこの次も成功し続けたいから。

人に嫌われたとき、口をつくのは理由を求める言葉。
「何がいけなかったの。悪い所があったらなおすから教えて」

人に好かれたとき、口にするのは理由を尋ねる言葉。
「ボクのどこがいいのかな。自分じゃ分からないや。教えて」

人が理由を求めるのは、辛いことを繰り返したくないから。
人が理由を求めるのは、幸せなことをずっと続けていたいから。


【蛇足→】
posted by 葵日向 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

心のレストラン…

心は大きなレストランだ。

食材は経験。
実際に体験したことや、本やテレビで見聞きしたこと。
事実でも嘘でも作り話でも構わない。
それらを貯蔵し必要なときに、または気紛れで調理する。

腕をふるうのはシェフと料理初心者のでこぼこコンビ。
シェフは腕は確かだけど、気分屋で気紛れ。
気が向いたとき、甘い体験に苦い記憶を少し加えたデザートを作ったりする。
永遠の料理初心者は、経験を切る手つきも危なっかしい。
均整の取れていない経験に、フィクションのスパイスをかけただけの質素の料理。

心のレストランでは経験を発酵させたり、燻製にしたり、鋳造したりもする。
幼い頃食べた料理が大人になってから食べると美味しかったりするのは、経験がよく熟成されたからだろうか。

経験には旬がある。
今すぐ食べるのが美味しいものもあれば、寝かせてから食べた方が良いものもある。
いざという時のために保存食にするものもある。
中には食べられず、捨てられてしまうものもある。

心のレストランには、腕のいいシェフと永遠の料理初心者がいる。
彼らの作る料理は愉しくなるほど美味しく。
時に哀しくなるほど繊細で。
ボクはいつもこのレストランに足を運んでしまう。
そしてたまに、彼らの目を盗んで経験を盗み食いしてしまう。
それは料理された経験とはまた違った、鮮烈な痛みがした。

【あとがき→】
posted by 葵日向 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作物(テキスト) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どうして“他人の顔”を借用しようとするのかな…

小説に限らないんだけど、名作のタイトルをパロった作品って結構多い。
別に悪いとは思わないんだけど、タイトルや章も作品の一部なんだよね。
というか、作品の顔といってもいい大事な部分だと思う。
それなのに、パロる必要が本当にあるのかなという作品が多い気がする。
いい響きだから使ってみたいと思うのかな。
でもパロることで生じる弊害も多いと思うんです。
だって元ネタが存在するんだから、どうしてもそのイメージがついてまわる。
もっと独自のタイトルをつけてもいいと思うんだけど。

どうして“他人の顔”を借用しようとするのかな。
posted by 葵日向 at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月09日

オンラインゲームについて考えてみた…

僕は以前、いくつかフリーのMMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)をやっていた。
仲間を作って冒険する、そんなゲームに憧れていたからだ。
(その根底にあるのは、「serial experiments lain」や「.hack」だった)

しかし、MMORPGは僕の求める冒険ゲームではなかった。
ひたすらレベルを上げて敵を倒す、作業みたいなゲームだった。
レベルを上げるためには膨大な時間が必要で、結果「灰」と呼ばれるゲーマにはとても追いつけなかった。
彼らに追いつくためには、サービス開始初期から始めるか、彼ら以上に時間を費やすしかなく、それは自分も「灰」になることを意味している。
攻略サイトも多数あり、それらは多くのゲーマにとって教科書だった。
パーティを組んだ仲間はボスまでの最短ルートを指示し、武器や技も攻略サイトの参照だった。

MMORPGが新規参入者やライトゲーマに優しくない点は、以下の二点だと思われる。
・費やした時間によるパワーインフレ
・費やしたお金によるパワーインフレ
前述の通り、時間を費やせばレベルが上がる。
レベルが上がれば強さも上がり、その差を埋めるには同じだけ時間を費やさなければならない。
これが古参と新規参入者の大きな壁、古参にとってのアドバンテージとなっている。
また、時間を費やせばゲーム内のお金も貯まり、より良い装備を整えることができる。
古参は「ゲームに費やした時間=努力」の恩恵を受けるのは当然だ、と考えるかもしれないが、そもそもゲームに対して「努力する」ってのはどうなのかなとも思う。
ゲームは娯楽にすぎず、娯楽なんだからみんなが楽しめるものじゃないと駄目なんじゃないかな。
楽しむために課金アイテムを買ってリアルをゲームのために捧げる、そんなゲームじゃ良くないと思う。

そこで僕が考える新しいMMORPGの形は、パワーインフレの少ないゲーム。
まず、パワーインフレの少ないゲームとはどういうものか。
それはレベルによる強さの上昇を抑える、というかレベルの概念自体を無くす。
敵を倒せばシームレスに、ほんの僅かだがキャラクタの運動能力が上昇する。
しかし、どこまでも果てしなく強くなるわけではない。
せいぜい、運動不足の人とスポーツ選手くらいの差しか生じないようにする。
装備もキャラクタの運動能力を補正する程度に留める。
中には銃器や刃物のような殺傷能力の高いものもあるが、扱うにはある程度以上の運動能力を必要とする。
殺傷能力の高い武器を装備していたとしても、絶対的な強さには繋がらないようにする。
敵の強さはそれに合わせて、運動不足の人一人でも倒せる弱さから、スポーツ選手並でも数人が協力しないと倒せない強さまで揃える。

このようにすれば、灰ゲーマのアドバンテージは少なくなり、多くの人が公平にゲームを楽しめるのではないかと思う。
(でも、例えば格闘ゲームなんかはキャラクタの能力は同じだけど、上級者と初心者では全然強さが違う)
(ここにも「ゲームをやりこんだ時間=努力」の成果があるわけで、完全にパワーインフレを無くすことは不可能かもしれない)
しかし、ゲームが地味になり爽快感がなくなるとか、「俺TUEEE!」を楽しめなくなるなどの理由でやらない人も多いだろう。

僕が考える新しいMMORPGのもう一つの形は、攻略サイトの意味がない、敵は唯一の存在で誰かが倒したら二度と現れない、一期一会なゲーム。
大抵の場合、MMORPGは灰ゲーマによって「攻略方法=道」が提示されている。
それを誰かが編集し、攻略サイトとしてネット上にて公開している。
だから、後からその道を通る冒険者たちは安心してゲームを「作業」できるようになっている。
別に敵を倒すことが目的ならばそれで良いのだが、僕のように冒険することが目的で、敵を倒すことは手段に過ぎない人にとっては面白みに欠けるだろう。
誰かが引いた道なんて歩きたくない。
ゲームなんだからもっと自由に楽しみたいと思う。

(そうは言っても、ゲームも産業だから「売れる」ことが最優先なんだよね)
(無料のMMORPGだと、課金アイテムは大きな収入源だろうし)【追記 3月9日 11:05】
posted by 葵日向 at 10:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

K祥寺…

友達と遊んで帰る電車の中。
「次はK祥寺、K祥寺です。お出口は左側…」という車内アナウンスが、
なぜか「吉ジョージ」と脳内変換された。

    ヾヽ
    /  ヽ
   □□- |
    |〈   |
   ヽ---丿
     ̄  

…誰、それ?
posted by 葵日向 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もっと便利なスケジューラが欲しい…

会社には卓上型のカレンダが置いてあって、そこに予定を書き込んでる。
もちろん、Googleカレンダなどのデジタル環境も使ってはいるんだけど、
やっぱり、さっと書きたいときは卓上カレンダに書き込むことが多い。

そこで問題が発生する。
Googleカレンダならばネットワーク上のどこからでも参照できるのだが、
卓上カレンダの場合はそうも行かず、結局コピーをとらなければいけない。
同期・共有できないのは不便だなあと常々思う。
しかし、入力のしやすさでは優れているので手放すことができない。

卓上カレンダをネットワークに繋げられたら良いのにと、いつも思う。
DSのタッチペンをインターフェイスにしたらどうかな、とか。

(ケータイがあるんだから、ケータイをもっと活用すればいいんだけどね)
(やはりペン入力は廃れないと思うんだよね、偉大だ)
posted by 葵日向 at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月07日

学生に優しい交通機関を…

街中で受験生や就職活動中の学生をよく見かけます。
さすがT京だなあ、そういえば去年は僕もあの中の一人だったなあと感慨に耽ったり。
でも、受験や就職活動はお金がかかるんですよね。
特に遠くの大学や会社を志望する場合、交通費がバカにならなかったり。
だから日程を熟慮して、なるべく無駄のないように工夫するんですよね。
それでも、宿泊代とか学生には負担が大きいですね。

そこで思うのは、交通機関はこの時期に学生向けのプランを作ってはどうだろうか。
学割とかはあると思うけど、数日間使える定期券のようなプランはないと思う。
就職活動で上京した友達も「Suicaを買おうかな」って言ってたし。
結構需要があるんじゃないかな。
受験生・就職活動生用の「ぷち定期券」。
posted by 葵日向 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

mixiのキラーコンテンツを考える…

上場前後から失敗しちゃってる感のあるmixi。
デザイン変更は改悪と言われ、ユーザのニーズを掴めてない新機能の数々。
広告は増えに増え続け、結果ページが重くなりユーザが離れる悪循環。
現在、アクティヴなユーザ数はどれくらいなんでしょうね。

mixiの勢いの翳りには既存のユーザのニーズに応えなかったこと、
ユーザ数が増えることによりリテラシの低い人も増え、悪い印象を伴うようになったことなどが挙げられるだろう。
しかし、そのことについては今回は深く言及しない。
考えるのは過去の問題点ではなく、これから何を為せばmixiに勢いが戻ってくるか、だ。

正直、mixiが新しいサービスを始めても今さらな感はある。
でも、mixiで連絡を取り合っている人もいるので全く使わないこともない。
だから、ニーズに合ったサービスを提供してくれればアクティヴ率は回復するのではと思う。


■二番煎じじゃユーザは戻ってこない

最初に考えたのはリアルタイムなコミュニケーションサービスの追加だ。
チャットやtwitterのような機能があれば、よりコミュニケーションが密になるのではと考えた。
しかし、twiiterで呟くとarawas殿から次のような意見を頂いた。

二番煎じな機能付けても誰も使わないし、オリジナルには勝てない。
既にモバゲのコピーやって大失敗してるしw

Twitter / arawas
なるほど、確かに。
ユーザ数は多いからそれなりに利用者は見込めそうだが、そのサービスを目当てに新たに利用する人は少なそうだ。
結局、新しいサービスを提供するための資金を浪費するだけで失敗に終わるだろう。
では、mixiがかつての勢いを取り戻すには何をすればいいのか。

実際、mixiがユーザーを増やす(というか戻す)ためにできることは、
もうサイトの軽量化と高速化、不要な装飾機能の廃止だけだと思う。

Twitter / arawas
広告や使わない新機能の追加により使い勝手が悪くなってmixiを離れたユーザは少なくないだろう。
mixiがかつての使いやすさを取り戻せば、ユーザが戻ってくる可能性はある。
しかし、mixiがそれをやるかというと、おそらくやらないだろう。
機能の排除は株主に対してマイナスの印象を与えかねないからだ。


■mixiカレンダはGoogleカレンダを打ち破れるか

上場したためmixiは利益を追求しなければならない。
そのためには新機能を追加し、広告をたくさん載せなければいけない。
では、どんな新機能ならばユーザを引き込めるか。
mixiは新しいキラーコンテンツを考えるべき時期に来ている。

個人的にmixiに導入してもらいたい機能が1つある。
mixiカレンダと言うべきか。mixiスケジューラと言うべきか。
つまりはGoogleカレンダの二番煎じのようなサービスだ。
先ほど「二番煎じは失敗する」という結論に達したばかりだが、なぜ二番煎じのサービスを推すのか。
それは、Googleカレンダとほぼ同機能だがmixiの方が上手くやれば有利だと思う点があるからだ。

Googleカレンダは確かに便利だ。
個人で利用するならGoogleカレンダで十分だと思う。
しかし、友達とスケジュールを共有する場合は少し話が変わってくる。
Googleのユーザは多いが、mixiのように「一般」の人も使っているかというとそうではない。
Googleカレンダを共有したとしても、あまり確認しないかもしれない。
実際、予定をカレンダに書いておいたのにメールで予定を聞かれることが多く、全く機能しなかった。
結論。Googleカレンダは「普通の」友人とのスケジュール共有には向いていない。

一方、mixiがGoogleカレンダのようなスケジュール共有サービスを始めたとしたらどうだろう。
友人はmixiをやっている。現在、予定の共有はメールとコミュニティのBBSでやり取りしている。
これでも機能しているがやはりカレンダ型の方が分かりやすく合理的だと思う。
もし、mixiがmixiカレンダを始めたとすれば、この問題は解消される。
予定をすり合わせるためのメールやBBSの書き込み頻度はぐっと減るだろう。
mixiから離れたくてもmixi経由でやり取りしている知人がいて離れられないユーザを、
再びmixiへ戻ってこさせるキラーコンテンツとなるのではないか。


■初心忘れるべからず


mixiのコンセプトは「人と人を繋ぐこと」だったと思う。
少なくとも、僕はそうだと認識している。
mixiによって出会ったり再会した人も多いだろう。
ユーザ間の結びつきができた時点で、mixiは一度その役目を終えたと思う。
「友達の友達」を辿っていこうと考えるユーザは少数だろう。
多くのユーザは小さなコミュニティの中で満足できる。
となると、形成したコミュニティ内でのコミュニケーションを補助する機能が求められるだろう。


■mixiショッキング / Webショッキング


mixiに限らないが、Webでテレフォンショッキングをやったら面白いと思ったことがある。
mixiでやる場合は運営側が「タモリ役」を用意するのか、「タモリ役」を誰にするのかなどの問題があって難しいだろうが。
Webショッキングは誰かやらないかなあと思う。
実現したら新しいリンクの形になるんじゃないかなと思ったり。
1人に負担がかかりすぎるから、「タモリ役」と「友達役」がスライドする形をとるなど工夫すれば何とかならないかな。
A:タモリ役 B:友達役 C:紹介された友達役
B:タモリ役 C:友達役 D:紹介された友達役
C:タモリ役 D:友達役 E:紹介された友達役
上のような感じで。音楽バトンのように繋いでいけば良いだろう。
問題は1箇所で継続的に行われないので、アクセシビリティが低いことだろう。
やはり中央集権的な、どこか1箇所で行うスタイルじゃないと難しいだろうか。
posted by 葵日向 at 00:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月02日

ハンマーソングと痛みの塔…

「ハンマーソングがしょぼんのテーマにしか聞こえない」を見て、
今さらながら、「ハンマーソングと痛みの塔」にハマってます。
いそいそとレンタルCDショップに借りに行ったけど全部貸し出し中でした。
(明日、また見に行こう。返却されてないかなあ)
仕方がないから、フラッシュをエンドレスで再生しています。



BUMP OF CHICKENBUMP OF CHICKENは久しぶりに聞いたけど、これは名曲です。
歌詞が良いです。何となく分かるなあという感じ。
3分30秒辺りからの盛り上がりはヤバイです。泣けます。
どんどん強くもっと強く 唄声響く痛みの塔
そのてっぺんにしがみついて 震えてるのはどちら様

捨てたくても捨てられなくて 小さな痛み溜まってた
そいつをずっとしまってきた 一個目の箱満たされた

別に今更辛くもないけど 誰かが見てくれたらな
これだけあれば許されないかな 少し優しくされるくらい

捨てたものも拾って詰めて 満タンの箱積み上げた
通りすがりを横目に見て 十個目の箱積み上げた

そうかこれでもまだ足りないのか 誰にも見えてないようだ
それじゃどんどん高くしなくちゃ 世界中にも見えるくらい

どんどん高くもっと高く 鳥にも届く痛みの塔
そのてっぺんによじ登って 王様気分の何様

何事かと大口開けた やじ馬共を見下ろした
ここから見たらアリの様だ 百個目の箱積み上げた

お集まりの皆様方 これは私の痛みです
あなた方の慰めなど 届かぬ程の高さに居ます

きっと私は特別なんだ 誰もが見上げるくらいに
孤独の神に選ばれたから こんな景色の中に来た

どんどん高くもっと高く 雲にも届け痛みの塔
そのてっぺんにあぐらかいて 神様気分の王様

聴こえるのは風の音だけ 千個目の箱積み上げた
下を見たら目眩がした 掛けた梯子飛ばされた

そして本当に寂しくなった 誰にも見えてないようだ
声も出ない程怖くなった ふいに聴こえたハンマーソング

下から順にダルマ落とし 誰かが歌うハンマーソング
皆アンタと話したいんだ  同じ高さまで降りてきて

どんどん強くもっと強く 唄声響く痛みの塔
そのてっぺんにしがみついて 鼻を垂らしてる神様

神様気分の俺様 俺様気分も逆様 有り様 どちら様
最初はただ優しくされたかっただけ。
弱さを、傷みを見せたら優しくされるのかな。
大変だったね、って声をかけてもらえるだろうか。

それがいつの間にか。
自分の弱さを、痛みをさらして、誇って。
自分がみんなとは違う「特別」な存在だと錯覚して。
でも実は全然そうじゃなくて。
実はみんなも痛みを持ってて、それを乗り越えただけなんだって。

だから、弱さをさらして優しくされたいという気持ちは分かったり。
だからほら、そんな高い所にいないで早く降りておいでって思ったり。
みんな見てるよ。話をしようよ。だから同じ高さに降りておいでって。

こういう感じのFlashで「VIPが目指したもの」ってのが昔あったけど、
Web上にはもう残ってないみたいですね。
BGMの「僕はここにいる」(とおくできこえる デンシオン)がすごく良いんです。
posted by 葵日向 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スポーツアナは何を目指しているのか…

テレビでスポーツ観戦していると、スポーツアナの自己主張が気になる。
テレビや新聞やネットで引用されたいのか、ちょっとした名言を言おうとしている印象を受ける。
おそらく前もって仕込んでいるのだろう、解説に適当な相槌を打って名言を要所要所にはさんでくる。
スポーツアナは何を目指してるのかな。
アナウンサじゃなくて詩人にでもなりたいのかな。
放送局や視聴者が「スポーツ詩人」を求めているのなら必要だけど、そうでないのなら仕事に趣味を持ち込みすぎだと思う。

スポーツ番組ではたまに副音声で別の実況・解説を聞けることがあるが、地上波デジタルやCS放送ではもっとこの枠を広げて欲しい。
以前、雑誌のコンテンツを切り売りしてユーザが選べるようにしたらどうか、という文章を「選り好みマガジンとか…」で書いたが、
テレビもコンテンツと実況・解説・アナウンサを切り分けてユーザが選べるようにしてはどうだろうか。
そうすることによって、ユーザは気に入らないアナウンサを除外できるし、
放送局側も、どのジャンルにどのアナウンサが適しているかを理解することができるだろう。
問題は人件費がかさむことだが、それ以上に視聴率の向上が望めるのではないかと思う。
地上波デジタルの双方向性を利用して、次回の番組に呼んで欲しいアナウンサ等をユーザが選べたらもっと良いだろう。
ただ、おそらく双方向性を利用するユーザは数パーセント程度だと思われるが…。

しかし、良いものを得たいという要求が高まれば、自ら選択する人が増えるだろう。
そういった流れの中で、一方的に「自分の世界」押し付けるものが生き残れるかどうか。

(それは、このサイトにも当てはまるんだけどね)
(細々ひっそりと生き延びていけるかな?)
posted by 葵日向 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月01日

楽描き2…

パステルピンク

描きたい絵を模索中。
ストーリィがないと描きづらいかな。
posted by 葵日向 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作物(イメージ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気にしすぎる性質…

3月になりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕は最近連続で電車とホームの間の隙間に落ちまくってます。

ああいうのって気にすれば気にするほど落ちますよね。
てか、ホームとの隙間が広すぎな気がします。もっと寄せて。
今回は落ちないようにと勢いをつけようとすると後ろから押されたり。
危ないんじゃよ。みんなもっとのんびり行こうよ。せわしないよ。

階段も怖いですね。なんか違和感を感じると大抵踏み外します。
なんていうのかな。歩幅が合ってないような。そういう違和感。
一応念のため手すりを持つから、足がずるってなるだけなんだけど。

高所恐怖症は相変わらずです。最近は逆高所恐怖症も発症しました。
クレーンの下とか、何か落ちてくるんじゃないかと不安で仕方ない。
杞憂だってことは分かるんだけど、怖いから別の道を選んだり。
高所恐怖症は心理療法(?)で治るって聞いたけど、まだ試してない。
治るんだったら治したいな。歩道橋を遠回りするのはめんどいし。
たぶん原因は気にしすぎなんだと思う。「もし落ちたら」とか想像しちゃうし。
だからものすごく高いとあまり怖くない。「落ちたら痛そうだな」という高さが怖い。

カメラというかレンズ恐怖症もあるんだけど、それも原因は同じかな。
レンズを気にしすぎているのかもしれない。眩暈がして呼吸困難になる。
気にしなければ特に大丈夫なんだけど。駅構内の監視カメラとか。
場所が分かっちゃうと駄目だな。目を合わさないように隠れたくなる。
別に意識しなければカメラと目を合わすことなんてほとんど無いんだけど。

僕は基本的に「気にしない性質」のはずなんだけど。大雑把だし。
なんか変なとこで「気にしすぎる性質」なんだよね。なぜだろう。
迷信深い人とか結構「気にしすぎる性質」の人なのかもしれないと思ったり。
他の人は「なんでそんなこと?」と思うことを気にしすぎちゃってるのかも。
逆に占いとかは人に些細なことを気にさせることで成功してるのかな。
posted by 葵日向 at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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